92才にキャリアを問うてみて思うこと

このコラムを書いた2023年6月時点で、私の父は92才です。あと2か月で94才。母は昨年の夏に亡くなりました。税金や水道光熱費、贈答品の注文や支払い、さらには自分の着るものを選ぶことまで全て母に任せっきりだった父は、母が亡くなって本当に「何一つ自分だけではできない」状態になってしまいました。

しばらく意地を張って(ヘルパーさんやケアマネさんなどの手厚いご支援をいただきながら)一人暮らしを続けた父でしたが、やがて栄養失調気味になり、さらに室内で転倒して骨折し救急車のお世話になるなど生命の危機を感じ、ようやく老人向け施設への入居に同意してくれたのが昨年の12月初でした。

サクランボを贈らなければいけない

施設に入居した後もいろいろな出来事がありましたが、ようやく落ち着いてきたつい先日、父から私に電話がかかってきました。

「そろそろサクランボを、毎年贈っている人に届けてもらうよう注文しないといけない。でも誰に送っていたか僕はわからないんだ」

その言葉に対し、私は以下のように答えました。我ながらコーチらしくない、キャリアカウンセラーらしくない応答だったなと思います。

「母さんが誰に送っていたかなんて僕もわからないよ。そもそもサクランボは贈らないといけないものなの?たぶんそうじゃないよね。父さんは誰に”贈りたい”の?もらって欲しいと思うひとに贈ればいいんじゃないの?」

「自分はどうしたいの?」に答えられない父

私のこの応答に、父は何も答えてくれませんでした。続けて私は

「結局、父さんはどうしたいの?サクランボを贈ることで何をしたいの?」

と問いました。そして父は長い沈黙のあと「あなたの考えるとおりにしてください」と言い、電話を切ってしまいました。

私は父に、サクランボを贈ることによって父の人付き合いの在り方をどうつくっていきたいのかを問いました。これは父がこれからのキャリア形成をどうしたいのかを問うたことに等しいと思います。
しかし父はその答えを持っておらず、考えることもできず、ただ慣習を破ってしまうことを気にしているようです。

この話にオチはありません。ただ、父が若い頃から「贈らなければならない」ではなく、「もらって欲しい・贈りたい」と思ってそうしていれば、つまり自分の意思で選択していれば、きっと違った展開になったのだろうと思った次第です。


年齢にかかわらず、自分のキャリアを考えるということは「自分自身の人生を自分でコントロールする意欲を持つ」ということです。キャリア設計をしたからといって必ずしも計画どおりに進むわけではありませんが、成り行きの人生と意図的な行動から学ぶ人生では、その「人生のコントロール感」がまったく異なります。
「人生うまく行かない」
「キャリアを考えることができない」
「“強み”を活かせる人生を送りたい」
少しでもこのようなご関心をお持ちいただけたら、お問い合わせ・ご相談よりお気軽にご相談ください。